ひとつひとつ、なにかを創り上げていくプロジェクト。 それがどんどん積み重なっていったとき、透けて見える私の姿は?
取り越し苦労
私は、何も始まっていないところから、あることを想定し、それについて様々な案件を探してきては、いろいろ思い巡らし、結果、深刻な気分におちいってしまうことが多い。

「前向きに行きましょう」という言葉を投げかけられたり、「考え過ぎ」とも、よく言われて来た。
だから私の基本は、悲観的な人間、後ろ向きな人間だと思っていた。

しかし、物事を考えるにおいて、「深く考える」ことと「深刻に考える」こととを混同しているのではないか? と、ふと思いついた。
「考え過ぎ」という言葉。これも曖昧なもので、私には納得のいかない言葉だった。
なぜならば、本来、考えること自体は間違っていないことだから。

そこで、ネット上でいろいろ検索してみた。
しかし、こういったことに応えてくれるほど、インターネットは万能ではない。
ネットは誰もが欲しがる表層的な情報には対応しているが、深く何かを追求するには、あまり役に立つものではない気がする。

そんな中でも、いくつかヒットしたページで納得したもの。

  • 考えることで深刻になる状態は、「論理」ではなく、「観念」が勝っている

  • 「執着」は、客観的、論理的に物事を考えるには不必要な要素である

となれば、私の思考方法は
「正しく考える」ことからは、程遠い思考パターンを繰り返していたことが解る。

そして今、私の頭の中は一気に晴れて、目からウロコ状態ではある。
だからと言って、「感情」を捨てて、客観的、理論的に物事を考えられるようになるのか?
これは甚だ難しい。

あるページには、こんなことが書かれてあった。

「論理的に深く物事を考えられるようになりたければ、論理的な文章に触れることが近道のような気がします」

やっぱり家でネット検索しているよりは、図書館へ行く方が早道かもしれない。