
デジカメ撮影分は、この4枚のみ。
あとは、全てリバーサルフィルムでの撮影とした。
本日4月5日、現像結果を確認予定。ちゃんと記録されているだろうか・・・

階段室の外壁。ご覧のように、コンクリート部分が崩れ、鉄筋が剥き出しになっている。当然ながら錆も発生している。
鉄筋の周囲をコンクリートで覆い、そのアルカリ性を利用して鉄筋の酸化を防ぎ強度を保つのが、鉄筋コンクリート工法の化学的な側面である。
従ってこの状態では、設計時の強度を保ってはいないはずである。
三ノ輪アパートメントは、このような箇所があちこちに見受けられる。

4階に注目。
窓部分に増築が施されている。ここだけでなく、あちこちの部屋で何がしかの増築・改装がなされている。4階の住戸には、区分内の廊下側壁面を板材で改装しているところも見受けられた。
住民による増築は三ノ輪に限ったことではなく、他の同潤会アパートメントでも行われていた。全体を見渡せば、継ぎはぎ状態の様相である。
対して上野下アパートメントでは、自治会が全体を一括管理し、増築は一切許可していない。
下に見える屋根のある建物は共同トイレ。
三ノ輪アパートメントには敷地内に共同トイレが2箇所存在する。
空襲でアパートメントが全焼した際、全てのライフラインが断絶、各戸のトイレが使えなくなってしまったためである。
電気配線なども、普通ならばキチンとまとめられているはずが、各部屋でバラバラに配置されている。多分電気の契約も、アパートメント一括ではなく、各々の世帯でなされたものであろう。
元々使用されていたであろうボックス部分は、もぬけの空だ。

元ぐるぐる・・・国旗掲揚ポール金具の変わり果てた姿。
これも、空襲時の火災によって溶けてしまったのだろう。
いったいどれほどの熱線が、この場所を襲ったのか。
三ノ輪アパートメントは、戦後、根本的な修繕がなされないまま、各戸の住人による修理、改造、増築が繰り返されてきた。
上野下アパートメントとほぼ同時期に建てられながら、立地や住人の考え方でこれほどまでに住まわれ方が変わるのか・・・と、驚きを隠せなかった。
ちなみに、前述の「消えゆく同潤会アパートメント」には、新築当時の三ノ輪アパートメントの写真が小さく載っている。モダンな門塀、植樹された木・・・。
それらの姿は、今はない。
全て、あの時の空襲で燃えてしまったというわけか?
かたや、焼け残った上野下アパートメントでは、植えられた樹木はすくすくと育っている。
今ではアパートメントの背を追いこし、秋には金色の葉を輝かせる。
鳥のさえずる声が響き、都会のビル風が、ここでは収まっていることに気付く。
・・・汚い、としかめっ面されるアパートの歴史をキチンとひも解けば、そこで暮らしてきた人々の姿がリアルに浮かび上がってくる。
建て替えたら、そんな大切なことも忘れ去られてしまうのか・・・
なんだか複雑な気分である。
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本日確認したら、すでに2000を超えていました。
1000から2000まではあっという間でした。驚きです。
みなさまのご訪問、熱く御礼を申し上げます。
これからも「ものづくりノート」を
よろしくお願いいたします。
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