ひとつひとつ、なにかを創り上げていくプロジェクト。 それがどんどん積み重なっていったとき、透けて見える私の姿は?
同潤会三ノ輪アパートメント、ついに解体か
やばい、やばいよ・・・

同潤会三ノ輪アパートメント
今年解体の見通しらしい。

先ほど検索して知った。
ここはあまりにも老朽化が激しく、荒川区が率先して建て直しを図っているなどと、いろいろ言われてきたところであるが。

来たかー・・・ついに。

ソース元はこれ。
http://yma2.hp.infoseek.co.jp/TokyoArch/Photo/20/MinowaApt1.html

写真で見る限り老朽化の様子は、我が同潤会上野下アパートメント
http://www1.nisiq.net/~norikook/uenoshita/tsushin.html)とは比べ物にならない。
さしもの私でさえも、このアパートメントを保存せよとは積極的には言いにくいほどの荒れようだ。

ちなみにこの地域、東京都荒川区日暮里(三ノ輪)周辺は、東京大空襲の際に壊滅的な被害を受けたところで、アパートメント自体にも火の手が上がり、相当のダメージを受けている
外壁には焼夷弾(しょういだん)の痕が残り、天井には焼けただれた黒こげがあちこちにあるという。
同じ東京大空襲の時に奇跡的に無傷で済んだ台東区東上野(旧稲荷前)地域に建つ上野下アパートメントとは、その点でも大きく違うのである。

2002年に取り壊されてしまった同潤会清砂通アパートメント(江東区白河・三好)。この地域もまた、東京大空襲で全てが灰塵と化した。
このアパートメントに関する資料の中に、大空襲の際の記述がある。参考になろうかと思う。

昭和20年3月10日の大空襲で、ここ一帯は火の海となった。一家全体では逃げられないと覚悟を決めた中村家は建物内にこもり、座布団に繰り返し水を掛けては木の窓枠に押し当て、外に逃げた人が火ダルマになるのを目撃した。あまりにも強い火勢が煙を空にそらし、冷たい風が建物を包んだ。ガラスの割れた住戸は火に襲われた。ぶあつい鉄筋コンクリートが、なかの一部の家族の命を守ったことはたしかである。
(「東京人」1997年4月号 No. 115)

戦争の生き証人としても、今のうちに私達の記憶に留めておくべきであろう。

交通:JR常磐線三河島駅下車